信太大明神
信太社
信太郷信太山にあり延喜式神名帳曰聖神社
例祭八月十五日信太郷中土生神とす社僧萬松院
祭神聖神
神系素盞鳥尊の孫大歳の神の御子なり
三代實録曰貞観元年五月七日和泉國聖神を官社に列す
同年八月十三日從五位下聖神に從四位下を授く
今に見る信太大明神(聖神社)
聖神社 拝殿
拝殿 扁額「聖神社」
本殿
境内案内板
聖神社
聖神社は白鳳三年(674)、神武天皇の勅願によって信太首が創建したと伝えられ、以降延喜式内社、和泉国五社明神の三の宮に列し、「信太明神」の別称でも人々に親しまれている。祭神は素戔嗚尊の孫神「聖大神」を主祭神とし、天照大御神他四柱の神々を配祀している。かつての境内地は信太山丘陵大半約百万坪を有していた。境内には国指定重要文化財である慶長九年(1604)再建の聖神社本殿をはじめ、末社の三神社本殿、瀧神社本殿があり、末社平岡神社本殿は大阪府有形文化財に指定されている。
国指定重要文化財
聖神社本殿(昭和25年8月25日指定)
豊臣秀頼が片桐且元を奉行として再建し、屋根は桧皮葺、桁行三間、梁間三間の三間社入母屋造という神社建築様式で、桃山文化の粋を集めた極彩色の装飾が施された壮麗な社殿である。
末社三神社本殿(昭和52年1月28日指定)
三間社春日造と呼ばれる全国的にも珍しい建築様式で、屋根は桧皮葺、正面三間、身舎側面二間の前面に一間通りの庇を設け、極彩色が施されている。元は東南部の神護寺「奥の院」に鎮座していたが明治六年に現在地へ遷座した。
末社瀧神社本殿(昭和52年1月28日指定)
三神社の北側に隣接、鎮座する社殿で、屋根は桧皮葺、正面一間、身舎側面一間の一間社春日造である。
【出典:境内案内板】
聖神社 鳥居
神社の約1Km手前に建てられています
社名碑と常夜燈
常夜燈には「信太宮拜前」と刻まれています
境内の鳥居
扁額「聖神社」
社殿 拝殿と本殿
聖不動明王
末社 平岡神社
平岡神社 案内板
信太山丘陵から望む臨海工業地帯
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